事業の成果と働き方・価値観について

この記事は、経営解説というよりは弊社岸本の随筆的な記事です。
偶然にもこの数ヶ月の間に、複数の方から「どうして小規模事業者への支援という仕事をしているのですか?」「どのようにしてその成果を獲得したのですか?」「この仕事に対するやりがいや人生観について教えて下さい」というご質問をいただきました。
それに対する回答、などと大げさなことではないのですが、こういう随筆的な想いを書くことで誰かの何かの参考にしていただけるのなら幸いです。

きっかけは生い立ちと前職での経験

初っ端からなんだか「半生記」みたいな書きっぷりで恐縮ですが、私(岸本)は幼少の頃から「自分で納得できない事をやらされる」というのが何よりも嫌いでした・・・というか苦手というか、やったところで全く上手く出来ない・・・それは元来の「頑固」な性格とも相まっていました。

勿論それは「好きなことだけやっていたい」とか「自分の欲望のためなら手段を問わない」というようなワガママ身勝手ということではなく、進学し、社会に出て、という成長とともに社会に適合するようにバランスを取りながら、ということでしたが・・・それでも、「理不尽」ということに対して強烈な拒否感情を持つという性格はずっと今でも続いています。

この性格は、学生時代に学んだ哲学や倫理学、そして長年続けていた音楽活動での経験にも補完されて、「代わりがいくらでもあるような、他の何かと比べられるような仕事ではなく、自分自身が誰かに必要とされるような仕事をしたい」という考えを持つようになりました。

ところが結婚して所帯を持った直後、当時勤めていた職場で、自分の最も嫌う「理不尽」を目の当たりに体験しました。いえ、ブラック企業とか働き方の強制というようなものでは有りませんが、とにかく「納得のできない働き方」をさせられることに強烈に違和感を覚えて、一念発起して今の仕事につながる独立開業をしました。

それがこの仕事を始めたきっかけです。

食うや食わずで鈍した創業期

ITコーディネータ独立開業録」でも書かせて頂いたように、私の独立開業直後の事業はまったく芳しくないものでした。最初の数年、売上・収入を得るために必死にもがいていました。その過程でいつの間にか「納得できる出来ない」以前に「稼げる・稼げない」のほうに軸足が移動し、専ら「どうやったら稼げるか」という事ばかりを考えるのが習慣化してしまっていました。この当時は、「ITコーディネータとして」ということすら捨て去って「とにかく稼げる」ということを模索した時期です。
まさに、瀕すれば鈍する、を地で行ったような数年間でした。

数年間という長いプロセスでの転機

転機は2005年ころから2010年頃までの数年間の間に緩やかに訪れました。

  • 家族・人生のことについて考えさせられる出来事が立て続けに起きたこと
  • かつての同僚からの指摘を受けたこと
  • 流されてたどり着いた立ち位置を見直そうを考え直したこと

家族・人生について

独立して自営業(つまり、自分の仕事を自分で選んで、納得行くように仕事ができる)を自ら選択して数年、そろそろ40歳という壁を越えようかという頃に、色々な経験を通して「自分はこのままこの生き方をして良いのだろうか?」と考えるようになりました。それは、「この仕事を続けてよいかどうか」ということではなく「この仕事の続け方・在り方」についての思索につながっていきました。

かつての同僚からの指摘

そんなとき、数年前に退職した前職時代の同僚数人と会う機会があり、そのときにこんな事を言われました。「岸本君が羨ましいよ。自分で決めて自分の納得行くように仕事がしたくて自営業になったんでしょ?それで今も(とりあえずこの時点では6年目くらいだった)続けてられるんだから」
この言葉は、私の中にある「現在の自分は納得行く行かないではなく稼げる稼げないの基準で仕事を選ぶように成り下がってしまっている」という気持ちに警鐘を鳴らされたような、そんな指摘として受け止めるきっかけになりました。

流れ着いた立ち位置を見直そう

その頃(2008年・2009年頃)、本来の事業の傍らで取り組んでいた別の活動が、なぜか順調に実を結びつつありました。これはこれで自分の「納得できる仕事」につながる事になると考えていたのですが、同時並行的に体験していた「仕事のあり方について考える機会」「かつての同僚からの指摘」をあわせて考えたときに、独立創業時の想いを再度見つめ直す、という方向へ私の考えを向けさせるきっかけの一つになりました。

仕事を始めたきっかけを再度確認する

私がそもそも前職から独立してこの仕事を始めたのは「規模は小さくてもいい(勿論大きくても構わない)。価値があってやり甲斐があると思える仕事を、納得行くようにやりたい。そして自分の関わるお客様や取引先や周囲の方たちにも、そんな風になっていただけるよう、少しでも自分の仕事っぷりが何かの影響を与えられたら」という想いからでした。

前の節で長々と書かせて頂いた、数年間の契機を経て、創業時の想いを再度見つめ直すことにしました。そして、もう少し明確な形でその想いを具現化しようと考え始めたのが、2010年~2011年頃です。

仕事=人生を体感した

ちょうどこの頃、偶然だとは思いますが今にして思えばなにかに導かれるように、「仕事=自分の人生を体現することだ」ということを明確に意識して仕事をしている自営業者さんという方に立て続けに出会う機会がありました。その方たちが異口同音に仰っていたこと。

  • 「仕事」だと思っていない、「それが自分の人生だ」と思ってやっている
  • だから「辞める」とか「廃業」とかそういう次元で仕事してない
  • 「儲ける」じゃなくて「儲かる」だ。仕事は誰かの役に立ってこそ仕事だ。役に立てば何らかの形で自分に返ってくる。その先に自然と「儲かる」ようになる未来が待ってる
  • 基本的に「好き」じゃなけりゃ人生なんてかけられない

これらの出会いや印象的な発言・会話を通じて、徐々に徐々に、私にとっての仕事の成果、というのが具体的なイメージになって形作られて行きました。
よく色々なエッセイで、劇的な出会いや印象的な体験をして「コレだ!」とひらめく、というような話を見聞きしますが、私の場合はそうではありませんでした。いくつかの体験を通じて徐々に自分の中に形作られていき、気がついたらそれがスッとスタイルとして定着していた、という感じです。

私にとっての仕事のやりがい

こうした緩やかな転機を経て定着し、今ではずっと根底に流れている私にとっての仕事のやり甲斐は、とってもシンプルです。

誰かに必要とされる、誰かにとって役に立つ、そういう仕事をしたい。私の場合その「誰か」とは「自分の人生をかけて仕事をしている」そういう人だ・・・そしてそれはきっと「小規模事業者(自分が自ら経営者となって仕事をしている人)」だ。

私にとっての仕事の「成果」は?

やり甲斐は「自分で納得」出来ればそれで良いですが、ではその自分に対する納得はともかくとして、その仕事の成果は何だと思うのか?・・・これも緩やかな転機の過程で自ずと自分の中に形作られました。

自分の仕事は「支援」だ(ITコーディネータというお仕事もまさに支援)。その支援を受けた事業者・お客様が明らかに自分の仕事(支援)の結果として、何らかの形で成長していることだ。

ただしその「成果」もお客様ご自身(つまり私と同じように納得して良い仕事をしたいと考えて事業をしている方)が「納得」出来る形で提供出来ていなければ意味がない。つまり単にその事業者さまの「売上が上がった」「利益が出た」というだけではなく、その結果お客様(事業者)が納得できる形で成果が出る必要がある。

そう考えていった先に、ひとつの考えに行き着きました。

儲からなければ商売じゃない。けれども儲かるだけでは「事業」じゃない。納得行く仕事が出来てそれが「儲かり」につながる。そういう支援成果を出すことが自分にとっての成果だ。

結果的に初心に戻った

と、こうした経験の積み重ねをしながら仕事を進めていった結果、振り返ってみたらつまるところ「初心に戻った」というお話です。

つまり、私の現在の事業の成果は、目論んでこうなった、というものではないのです。

よく「マネタイズ」という言葉つまり「どのように収益を確保するか」とか「どのように一定規模の売上高を獲得するか」というコンテクストで事業の成果や価値を判定しようとすることもありますが、そういった世間的に通用するような「手法」「ノウハウ」や「戦略」を実践したというわけではなく、暗中模索を続けながらたどり着いた、というのが本音の偽らざるところです。

人生は自己実現だ

暗中模索とは言っても、本当に闇雲に行き当たりばったりをやったという訳ではありません。

振り返ってみれば、ですが、私の「脱サラ」「創業」「模索」というこれまでの過程では、常に根底に「それが自分の人生だと納得できるか?」という自分自身への問いかけがありました。

58年も生きてくると勿論、思い描いたような人生を描けなくなったり、絶望にも近いような試練が立ちはだかったりして、つい数ヶ月前まで思い描いていた未来をゼロから書き換えなければならないような体験も何度かしています。

けれどもやはり、その度に「これから思い描く未来は、果たして自分にとって納得のできる未来か?」と常に問いかけていたと、振り返ればそう思ったりするものです。

振り返るのにはまだ尚早な年齢かとは思いますし、自慢話・説教・昔話は押し付けがましいだけのものとは承知していますけれども・・・こういう話も赤裸々にすることで、誰かの、何かの役に立てればと思いながら書かせて頂いた次第です。

長文、最後までお読みいただきありがとうございました。